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想いをかたどり、価値へ変える、共創者たち。
Vol.5

加藤 友規

Tomoki Kato

加藤 友規

Tomoki Kato

植彌加藤造園 代表取締役社長
博士(学術)
京都造形芸術大学 教授

庭に「完成」という概念はない。
だからこそ、おもしろい

嘉永元(1848)年、大本山南禅寺の御用庭師として創業し、以来京都左京区鹿ケ谷を拠点に代々造園業を営む植彌加藤造園株式会社。寺院や別荘に加え、ホテルや商業施設、公園など、さまざまな庭園を手がける同社の代表取締役社長・加藤友規氏に、庭造りの美学や哲学を伺いました。「借景」や「作法」など、庭造りを読み解くことで見えてくる、日本独自の価値観に迫ります。

時を超えて愛され続ける日本庭園を。

「庭を造るということは、すぐにできるものではありません。もし誰かが『庭を造りたい』と依頼してくださったら、そこから私たちは非常に長い間、庭を通して関わっていくこととなります。まず、もともと庭のない土地であれば、そこにどんな庭が造れるだろうと調査をすることから始まり、スケジュールや内容を計画して、庭のデザインを設計し、細かな内容まで考えて、やっと施工に入っていくわけです。そして、竣工したらそれで『完成』という訳ではなく、むしろそこからが庭が始まりです。管理し育てていくところまで、私たちの役割ということになります。一度造られた庭は、とても長い間、愛されるものです。私たちの会社は約170年前、大本山南禅寺の御用庭師としてスタートし、それ以来ずっと南禅寺の庭をお世話させていただいています。先祖代々任せていただき、随分と長い付き合いと言えますが、南禅寺の庭は170年前の当時からすでに存在していて、例えばそのうちの南禅院は鎌倉時代にできたと言われているのですから、庭の方が私たちよりも圧倒的に先輩なのです。

私たちの仕事のベースは『日本庭園』にありますが、仕事の領域は多岐に渡ります。寺院だけではなく、ホテルなどの施設や公共空間としての文化財庭園や、公園など、幅広い庭を手がけています。庭というものは長年育まれながらも、時代ごとに人の生活に寄り添う中で、あり方を変えますので、社会の中での形としてはこのように多岐に渡ることになります。

このように、いろんな仕事をしてきた経験から、『日本庭園』とはどういったものなのか、あらためてお話ししたいと思います。『日本庭園』とはすなわち『日本の庭』ですから、つまり日本固有の、日本にしかありえない文化ということになります。いちばん大きな特徴は、その庭の『パーソナリティ』を重視することでしょうか。その庭にしかない個性に、ここまで執着し、こだわるのは、海外にはない日本の庭園のおもしろさだといえるでしょう。国(文部科学大臣)が、文化財保護法に基づいて、価値のあるものとして指定した『名勝』と呼ばれる庭園があります。(インタビューを行った)ここ〈無鄰菴〉もそのひとつです。文化財に指定されている庭には『こういう値打ちがあるから文化財なのですよ』という、指定理由がはっきりとあります。そうした庭をお預かりする場合は、その庭が持つ個性をきちんと後世に伝えていかなければいけません。文化財に指定されている庭に限ったものではなく、人にはそれぞれ個性があるように、どんな庭にもその庭の個性があります。ひとことで言ったら同じ『日本庭園』かもしれませんが、その庭を作り育んだ過去の人間たちの意思が、個性として結実しているのです。そうした個性の輝きと向かい合うのが、私たちの楽しみです」

優雅枯淡で品格のある禅院式枯山水の〈南禅寺方丈庭園〉。

素晴らしい庭には「借景」がある。

「個性」が大切だと先ほど言いましたが、庭の個性とは一体何なのでしょうか。第一に、地質や地形、気象条件といった要素があります。ほかには、地域や歴史といったものも重要です。そうした要素が絡み合い、“その場所性”、すなわち個性が形成されていきます。例えば、京都の東山・南禅寺界隈には、〈無鄰菴〉をはじめ、京都の近代化を象徴する庭がいくつもあります。このあたりは、明治時代、近代産業を育成することを目指し、琵琶湖疏水が建設された場所です。琵琶湖疏水が豊富な水をもたらしたのを機に、その水を取り入れた庭園が多く造園されました。その歴史的・地域的な文脈が、その庭の価値として評価されるわけです。

また、日本庭園の特徴的な概念として『借景』があります。『借景』とは、景色を借りるという意味で、外の景色を庭の一部として取り入れることを指します。この概念は、平安時代からすでに日本人の中にあったようです。日本最古の庭園書『作庭記』の著者とされている橘俊綱と、白河上皇との会話に、興味深いものがあります。〈鳥羽離宮〉を築いたばかりの上皇が、造園に造詣が深い橘に『一番良い庭はどこの庭か』と尋ねるんです。当然、〈鳥羽離宮〉を褒めてほしいという想いがそこにあるのですが、橘は別の庭を挙げて、〈鳥羽離宮〉を当代一としませんでした。なぜかというと、橘は庭単体ではなく、土地の地形や眺望が素晴らしい庭こそが、良い庭だと考えていたからです。

江戸初期の後水尾天皇という方をご存知でしょうか。かの有名な、〈修学院離宮〉を造られた方です。別荘を建てるために京都中をあちこち探し回って、辿り着いたのが修学院離宮でした。なぜかというと、そこから眺める景色が良かったのです。上の茶屋から俯瞰した風景といったら、今見ても本当に素晴らしいものです。このような話からもわかるように、庭だけではなく庭を含む土地のすべてを考えるという感覚は、日本人のDNAに色濃く引き継がれているように思います。

星野佳路さん(星野リゾート代表)も、嵐山の地から〈星のや京都〉を見出しました。この旅館の庭を任せていただいたときは、この土地からどういう庭が生まれて、作庭後もどういう風に育まれていくべきか、頭を巡らせました。船で辿り着くという独自の仕掛けをおもしろがりながら、それでいて〈星のや京都〉だけのことを見つめていたわけではなく、ひとつの嵐山の景勝地そのものを含めて、この土地にふさわしい庭というものを考えていったのです。お客様が宿泊施設で過ごす時間というものは短いものです。いつ訪れたとしても、必ずなにか見所がある庭にしなければなりません。朝昼夕晩、春夏秋冬、晴雨曇雪、花鳥風月。こうした要素が組み合わさり、出来上がる『庭の顔』というものには、少なくとも256通りはあるわけです。一期一会の庭があるということは、何度も飽きずにリピートしていただくことにつながります。

私たちがこの〈星のや京都〉の庭を育んていくにあたり、大切にしたこだわりのひとつに『庭師の姿』があります。通常、ホテルや旅館には客室清掃という時間があり、その時以外はお客様の前で掃除を行いません。お客様がいらっしゃらない隙に、バタバタと掃除をして綺麗にして、チェックインの時間になったら、きちんと着替えてお客様をお迎えする、というのがあらゆる宿泊施設の常識としてあります。ところが、日本庭園はそういうものではありません。昔の人は、お客が来るという時にこそ、庭師を家に呼びました。小鳥がさえずるなか、パチパチと枝を切る、その音を聞かせたいわけですね。今はそういう習慣がすっかりなくなってしまい、景色の中に庭師がいたら邪魔だと考える人の方が多いようで、残念に思います。

〈星のや京都〉の庭には、その庭とともに生きる庭師の姿があります。風景に溶け込み、情緒を作り出す昔からの美しい姿です。そりゃあ、見ていられないような下手くそな掃除は風景の邪魔ですが、プロの庭師の掃除の姿は洗練されています。ある意味「茶道」と同じなんですね。茶道も、飲むだけでなく、お茶を点てるという行為を楽しむものではありませんか」

平安建都1200年の記念事業として建設された〈けいはんな記念公園〉。

庭に「完成」という概念はない。

〈星のや京都〉ができて、10年が経ちました。当初はお堅い姿だった竹も、良い感じにサラっとした姿になってきました。一生懸命育てていた筍を猿に食べられてしまったこともありましたが、現在のような姿になり感慨深く思います。

庭には“完成”という概念がありません。絵画における完成は、画家が筆を置いた瞬間といえるでしょうし、建築にしても竣工という終わりの瞬間があります。建築には修繕というものがあり、壁が日に焼けてしまったら、竣工した当時と同じ色に塗り直さなければいけません。ヨーロッパの庭も同じように、竣工当初の姿を維持しなければいけないという発想があるので、手入れするときは決まった形に戻します。ただ日本庭園における植木のお手入れは『伸びたら切る』なんて単純なものではありません。年々良くなるように、育んでいくものなのです。〈星のや京都〉の庭もこれからもっと、魅力的なものになっていくでしょう。

日本庭園というのは、世界中から期待されておりますし、これからも末長く進化を遂げていかなければならないわけですが、課題も背負っています。それは、庭師がいなくなってしまいそうだということです。現代はコンビニでなんでも買えるし、どの家にもガスが通っていて、蛇口をひねれば簡単にお湯が出て来るような時代です。便利ですが、このことを背景に庭師の技量としては圧倒的に劣ってしまっています。昔の子供たちは半ズボンで山の中を走り回って、裸で川に入って遊んでいたものです。図鑑なんて見なくても、山のどんなところにどんな木が生えているかというのは、体で身につけてきました。今は子供が自然に触れる機会が本当に少ない。庭がある個人宅もほとんどなくなりました。庭は所有して愛でるという対象から、小学校のビオトープなど公共の場所に出かけて味わうものになりましたね。この状況を嘆くばかりではなく、どう前向きに向き合っていくべきか、模索しているところです。

庭師には、例えばふとした瞬間に、朧月夜という歌の歌詞にある『春風そよふく、空を見れば、夕月かかりて、にほひ淡し』といった情景が眼に浮かぶような、自然観や風景観が必要です。もちろん、私たちも植物のすべてを理解しているわけではありません。500年前の庭なんか見たことないものを、想像しながら仕事をしているわけですから。ただ、これからも日本庭園の文化を残し、美しい庭を育んでいくために、いかに我々が自然と触れ合い、その受け取り方の多様性を知る機会を増やしていくかが、今後の課題だと考えています」

〈無鄰菴〉は東山を借景とした明るく開放的な芝生空間と軽快な水の流れを有した庭園。

Profile

1966年京都府生まれ。千葉大学園芸学部園芸経済学科卒業後、家業を継ぐため植彌加藤造園株式会社に入る。その後、2005 年に同社代表取締役社長に就任。2013 年に、日本造園学会賞(研究論文部門)、2018年には日本イコモス賞を受賞。国指定名勝庭園や京都の寺院庭園を数多く手がけている。

代表作
南禅寺/渉成園(東本願寺)/智積院/紫雲の庭(金戒光明寺)/星のや京都/星のや東京
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